こうした中、株式会社電気ビル会長(九州電力株式会社初代社長・当法人初代理事長)の佐藤篤二郎氏が中心となり、天神にオフィスや飲食店を擁した、地上11階・地下3階の天神ビルを建設し、その3階に九州大学医学部の教授・助教授の賛同と指導のもと、福岡市では初めてのビル内診療所として、1960年(昭和35年)9月2日に医療法人「天神クリニック」を開設した。
当時は、翌1961年(昭和36年)の国民皆保険実施による医療費負担の軽減と医学への期待の高まりから、何はともあれ医療の量的拡充が要求されていた時代であった。このような社会状況の中、天神クリニックの開設は、地域からも医学界からも、期待をもって迎えられたと思われる。
設備の面では、外来での精密検査と相談機能を目的にして、中央検査室の設置や最新のレントゲン透視装置、断層撮影装置を導入するなど、当時としては極めて先進的な試みであった。
この科学的で最新の検査法による疾病の早期発見と人間ドック・各種健康診断による健康管理の徹底普及に努めることを目的に医師ほか総勢18名でスタートした。当時はまだ、一般には知られていなかった「人間ドック」を開始し、予防医学の啓発に貢献することとなった。また、「クリニック」という呼称の先駆けともなり、この後、○○クリニックの呼称やビル内診療所が増えてきた。
それから4年後の1964年(昭和39年)4月4日には博多ステーションビル(現博多駅になる前のビル)内に「ステーションクリニック」を開設し、医師ほか16名でスタート。天神クリニックと同様に最新鋭の設備を整えたステーションクリニックは、地域のみならず旅行客や買物客にとっても有用であったことはいうまでもない。
ステーションクリニックの開設を機に天神クリニックを「医療法人親愛」に改称し、天神と博多駅の両クリニックを運営することとなった。